2008-09-19

違いを再認識

僕は、朝起きてから寝るまでの各ルーチンワークのマニュアルをカバンの中に持ち歩いています。 通常、それを見ながら各作業をこなします。 例えば、以下の項目について書いています。

  • 朝起きてから家を出るまで
  • 研究室に入室してから作業開始まで
  • メールチェックの時間(09:30, 13:30, 16:30の3回)
  • データ計測、解析のルーチンワーク
  • 帰宅準備
  • 寝る前のルーチンワーク
  • Weekly Review

で、それを後輩に見せたところ、猛反撃を受けました。

朝起きて、トイレ行って、ご飯食べて…を決められるのはやってられない

らしいです。 そんなことまで決められていたらロボットだ、と。 人間としての自由がない、と。 話をしていて、「ふむ、そうかもしれない」と思い、「そうかもしれない」と返答しました。

しかし、帰宅してから考えていたのですが、どうも違うのです。 僕がなぜそのようなマニュアルを必要としたのか、それを十分にそれを自覚できなかったため、そして説明できてなかったようです。

僕は特に必要ではないことに、その度に判断するという必要以上のリソースを投入しないためにマニュアルを利用するのです。 その度に頭の中で現状にランダムアクセスしないといけないのは、僕にとっては苦痛だからです。 「学校の制服を着るのは楽だ。服を選ばなくていいから。」という論法に似ています。 レバレッジ時間術の「仕組み化」に似ています。

そしてもう一つ、大事なことを言い忘れていたのです。 「自分で作成したマニュアルは、自分で改良することができる」ということです。 自分がのマニュアルの管理者だ、ということです。 それを説明していなかったのが、今回のマニュアルに対する誤解を招いたのではないか、と思うのです。

マニュアルに沿って行動していても、頭は違うことを考えることができます。 「この順番をいれかえたらどうだろうか」とか「これとこれは同時に作業できるな」とか。 そうしながら、ルーティーンAをしながら、別のことを考えたりもできるわけです。 また、ルーティーンは最終的に全部行なわれていれば良いのです。そのチェックリストにもなります。 そのチェックには自分の注意力というリソースを投入しないで、他の考え事に注力することが、仕組み化のメリットだと考えています。

そんなわけで、やはり自分はマニュアルに任せられるところはマニュアルを利用したい、という結論に達しました。 きっと後輩からは「こりゃダメだ」という反応をもらえることでしょう。 しかし、それもまた、僕の判断なのです。

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