先ほど何かのテレビ番組で、2人の男性がザックを背負って歩いている絵がありました。 歩いている人達は2,3歩先を見ていました。
2人とも2,3歩先を見て歩いていました。 逆に後ろも向いていないし、遙か山頂をも見ていませんでした。
もちろん、歩いている最中に
- 周りの景色を見ても
- 山頂を見上げても
- 歩いてきた道程を振り返っても
良いわけです。 それ以外にも、
- 白昼夢を見ながら
- マンガを読みながら
- 「○○山なう」しながら
歩いていても良いはずです。
でも歩いているときは、歩くこと、次の一歩をどこに出すかをまず考えます。 転ばないために。 そして少し慣れてくると、次の一歩は、更に次の一歩を楽に進めるために、歩きやすいコースを決めるための一歩として使うようになります。 次の一歩をどこに起き、次の反対の足をどこに置くか。
トレイルランニングでも同じことだと思います。 これは競技なので、もっとシビアになるでしょうが。
考えてみると、これは当然といえば当然の話です。 まず目の前の問題(=歩行)をこなす。 そうでなければ、最終的なゴール(自力で登頂)を達成できませんから。 そのために、その作業にすべてのリソースを費やす。 まずはそこから。
上級者になれば、スケールの違うこと、例えば
- 次の一歩をどこに置こうか
- そっちに行くのにこの岩を避けようか
- どこで休憩しようか
- この天候で続行して大丈夫だろうか
- 体が冷えてないか
- このペースで問題は無いか
- このフォームで歩いてロスが多すぎないか
- 視点を変える必要があるか
ということをを次々と、そして無意識に考えることができるのでしょう。 でも、それは、最初の「歩くこと」がまずできてからです。 極端な話、他の判断ができても「歩くこと」ができなければまず自力登頂はできませんから。
先に書いたこと、というのはある程度実際に練習する必要があります。 ある程度実際に練習するには、そう。山で実際に歩く必要があります。 山で歩けるようになって初めて、それらの状況判断の実地練習もできます。 さらに、より効率的な「歩き」ができれば、残るリソースをより上級の作業に集中することができます。 意識して練習するなら、の話ですが。
更に上を目指すなら、 足下を見て、泥にまみれてのたうち回らないといけない、ということです。 基礎訓練をより積まなければならない、ということです。
当たり前と言えば当たり前の話になってきました。 しかしそれにしても、成果を目にするにはこれはまた気の長い話になってしまいましたね。