ちょっと回りくどいことを書いてみようかと思います。
正確な言い方は覚えてませんが、
魚を与えるより、魚を釣る方法を教えよ
というような格言?みたいなものを読んだ記憶があります。 空腹の相手が一生食べるためには、今だけの魚があっても仕方ありません。 最終的に生きていくためには、継続して食料を調達する(=魚を獲り続ける)必要があるわけです。 でないと、また空腹になって再度助けの手を待つか、そのまま息絶えるかしかないからです。
先日の地球温暖化勉強会でmehoriさんは興味深い発言をしていらっしゃいました。
今、西から風が吹いているときに 「もし、逆に東から風が吹いたらどうなるだろうか?」 と、子供に考えさせてみることです。
と返答していました。 これはどんな質問に対する返答かというと、
子供にも環境問題を意識させるためにはどうすれば良いか?
という問いでした。
ここで僕の興味を引いたのは、
- Aを体験させてみたら良いですよ
- Aという(映像もしくは書籍)資料にあたらせると良いですよ
という予想回答と違っていたことです。 正直です。 あまりにも謙虚で誠実な返答でした。
現実とは違う、「もしAにだったら」ということを考えるわけです。 if思考、仮説思考と呼ばれる類のものでもあります。 TOC流に言うと、injectionすることになります。 injectionするにはFuture Reality Tree(未来構造問題ツリー)を描く必要があるのですが、 それには、投入すべき「もしAだったら」という仮説以外は要素を一つ一つ考えていかなければなりません。 これを行うには、CRT (Current Reality Tree=現在構造問題ツリー)を描けるまでに考える問題の構造を理解しなくてはいけません。 つまり「もしAだったら」という問いを考えているということは、それ以前に現状がどうなっているかを自分なりに理解できている必要があるのです。 「もしAだったら?」という言葉の下には「今のメカニズムを自分なりに消化して」という宣言されていない前提があり、 「もしAだったら?」の一言でその解釈までもさせてしまうという話です。
「もしAだったらどうなるか?」と質問して考えさせることです、とだけ言ってました。 それで口を閉ざされました。 ひょっとしたら、「答えは言わない」という方針なのかもしれません。 問題によっても答えられる/答えられない問題に分かれるでしょうが、"先生役として"の答えは言わないのでしょう。 (実質的な答えではない)補助線的な答えは与えるかもしれません。とっかかりの1ステップとして。
例えば温暖化の問題に対してこの考え方を適用すると、こんな考え方もできるのではないでしょうか。
- 魚を与える
- 電気を切ると良いよ。森林伐採しない方が良いよ。
- 魚の釣り方を教える
- 年間炭素消費量を自然の年間炭素吸収量以下にすれば良いよ
- 「魚の釣り方」を考える
- どうして年間炭素消費量を自然の年間炭素吸収量以下にすれば良いのだろうか。それが分かったとしたら、それをどうやって?
ここでは以下2重のメタ化が行われています。 "魚の釣り方を教える(親)"-"魚を与える(子)"というhowtoのロジックツリーが描けるわけです。 そして、"「魚の釣り方」を考える"は、問題解決方法を考えることになります。 何に注目して問題解決を図ったのか。それの理由は何か。 これは例えば、"カイゼン"の手法を評価の対象にすることです。 "カイゼン"に従って行われた事例を評価することではありません。 IPCC報告書の解釈、各シミュレーション結果の解釈、計測結果の解釈のそれぞれの段階でもこの方法で考えることができます。
もっともそこまで行くと、IPCCの提案にまでまとめあげたものを再分解/再構築し(投資量の増加)、その上結論まで辿り着けなくなる可能性を持つため(回収収益の減少)、「対時間効果が損である」と評価する人もでてくるでしょう。 しかし、個人としては「対時間効果で評価しても損ばかりでもない」と主張したいところですが、それはまたの機会に。
---
ところでこの導入方法は、問題解決に対する意欲や態度に与える影響を考慮してのこと、というのもあるでしょう。 「決められた(求められた)答えを導き出す」わけではない、ということを。 考える価値のある問題は解かれていない問題だ、ということを。 「解かれていない問題」といのは「自分がまだ理解できていない問題」だ、ということを。
正直、自分がその質問について考えられる気がしません。 できませんが、迷走して七転八倒する姿を見せることはできそうです。 これがその七転八倒ぶりですものね。