先日の Lifehack@Nagoya 02 の2次会にて小耳に挟んだフレーズです。
GTDをやっても、本当に不安なときは、頭の中で"それ"がグルグルしている。 書き出してリストにしてやって具体的なアクションを取った後でもグルグルしてる。 考えても仕方がないと意識していてもそうなってしまう。
そんなことを言ってました。
興味あるトピックだったんですが、それ以上は聞き取れませんでした。 というわけで、今回はそのフレーズからスタートしてみます。
僕の意見では、遠い将来に僕がGTDを完璧にマスターしても、不安なときは"それ"がグルグル頭の中で周っていると予想しています。 多分、GTDは万能ではないのです。 全てのモノ/コトに関しては。 万能でない例として、不安な事とか、気になることとか、気分の悪くなることとか。
じゃぁ、GTDをマスターしても意味は無いのか。 否。 意味はあると考えています。 というのも、GTDの方法で大体の雑事は片付けられるんじゃないか、と思っているからです。 大体の雑事、放っておくとたまってきて気になるもの=不安の元、を(少しは)楽にできるんじゃないかな、と。 ちょっとした不安なら、「やれるだけの手は打った」と考えることもできます。 でも親玉クラスの不安になると、やれるだけのことはしても、まだ、心配になることはあります。 まぁ、心配したからといって状況が良くなることはめったにないと思うんですが。
僕は今、GTDとは電動アシスト付きの自転車みたいじゃないかな、と考えています。 ゆるい坂道の時=普通のとき(あまり忙しくない)、というのは、自転車の補助だけでも結構上がれるんじゃないか。 キツい坂道の時=忙しくて勝負所という不安なとき、というのは、補助だけじゃ足りないから、自分でもペダルを踏む。 さすがにキツい坂をアシストだけでのぼり切ることはないんじゃないかと。
で、注目するのは、「キツい坂ってどれくらいあるの?」ということじゃないでしょうか。 パレートの法則が適用できるなら、20%くらいですかね。 逆に考えたら、残りの80%はゆるい坂道なんじゃないでしょうか。 もしそうなら、その80%の時間を占めるゆるい坂道で、景色を見ることを忘れて必死にペダルを踏んでないで、 「これからどこに向かうんだっけ?」とか「こんなルートで行く予定だっけ」とか考えながら楽に行けたら良いじゃないですか。 楽しめたらそれに越したことはありません。 で、たまにキツい坂ではヒイヒイ言いながら頑張ってペダルを踏む、と。 「この峠を越えればしばらくは平坦」とか「このカーブを曲がれば良い景色が見えそう」と自分に言い聞かせたりしながら。
ゆるい坂道でも脇目も振らずに頑張ってペダルをこぐ、というスタイルもあります。 そういうスタイルもありますが、僕がそれをやると、キツイ坂道でギブアップしてしまいそうです。 普段から一杯々々ですからそれ以上頑張れなさそうです。 どこまで坂が続くか考える余裕も無さそうですし。
そんな訳で僕はGTDを、GTDの考え方を「効き目に上限はあるけど、十分に使えそうな道具」と見ています。 大体の雑事のケアで助けてくれるんじゃないかな、と。 キツい坂のような大変なことというのは、まぁめったにないでしょうし。 なったらなったで、一生懸命ペダルをこぎますが、そのときもGTDはアシストしてくれるでしょうし。 おかげで、小さな雑事にイライラしなくてすむんじゃないだろうか、 本当に大変な1つ/2つのコトに集中できるんじゃないか、と考えています。 逆に言うと、GTDしなかったら他の雑事にも気を配らないといけないんじゃないか、とも考えられるんです。
そんなことを考えながら、GTDの力と限界とを想像しながらうまく利用できるといいんだけどな、と目論んでいるわです。
だから、題名の「GTD systemは僕の代わりに心配してくれる?」という問い掛けには 「GTD system自体は代わりに心配してくれない。記録して、見返せば思い出させてはくれるけどね」ということになるんでしょうかね。 ちょっとタイトルと中身がズレてましたね。