学問の研鑽では、誓って、対象そのものを見据え、対象を念頭に置いて語り、また、語る言葉も対象に委ねて、対象が導くままに巧まざる文章があとに続くようにさせるほうが良い、というのが私の考えです。私はこう自問自答します、「何世代にもわたって残るようなものを書く必要がどこにある。後生の人々がおまえのことを黙して語らぬことのないようにしようという、その努力をやめようとは思わないのか。お前は死ぬ定めを負って生まれたのだ。誰も何も黙して語らぬ葬儀の方が面倒も少ない。 だから、何かを書くにしても、公にしようとは考えず、暇つぶしに、飾らない文で自分の用のために書くがよい。 その日その日のために勉学する者は、それほどの労を必要としない」と。
セネカ セレーヌスに寄せる 心の平静について 大西英文訳 1章13節より
だから、書いてみましょうか。