先日ラジオを聞いていたら、古今和歌集についてなにかしゃべり出しました。 まったく分からない世界の放送でした。 3首ほど紹介されたのですが、聞いても、
なるほど。そうか。
としか反応できなかったほどでした。 その中で2つ気になったことを書きます。
まず、紀貫之について。 そう、あの徒然草…ではなく土佐日記で有名な紀貫之です。 この人、古今和歌集の撰者筆頭として紹介されていました。 そのとき紹介していた人の発音が、 「きの(↓)、つら(↑)ゆき(↓)」だったのです。 聞いていて、「ん?」と思い、少し考えました。 自分は「エレベーター」という音程で「きのつらゆき」と一息で発音していました。 これは違うぞ、と。
考えてみれば、当然も当然です。 紀貫之(きのつらゆき)は、紀の家の貫之さんということですから。 名字が「紀」だったんだなぁ、紀氏の一族なんだなぁ、と今さらながら勉強いたしました。
それともう一つ。 万葉集は素朴で素直な歌が多い。 古今和歌集は、技巧的に一ひねりした句が多くまとめられている。 という紹介がありました。
万葉集からの紹介でした。 行幸にお供した柿本人麻呂が詠んだ歌で、行幸先の吉野という土地を褒めちぎる歌です。
やすみしし わご大君の 聞し食す 天の下に 国はしも 多にあれども 山川の 清き河内と 御心を 吉野の国の 花散らふ 秋津の野邊に 宮柱 太敷きませば 百礒城の 大宮人は 船並めて 朝川渡り 舟競ひ 夕河渡る この川の 絶ゆることなく この山の いや高知らす 水激つ 瀧の都は 見れど飽かぬかも
と続きます。 全文・意味は、万葉集 巻1 36をご覧下さい。
面白い見方としては、 柿本人麻呂は、旅行の記録係だった。というものです。 現在の旅行では、記念写真ビデオ撮影で記録を残すのと同じように、 「行幸の様を歌で記録しよう」として柿本人麻呂がお供したのではないか、 という考え方があるそうです。 そうならば、今も昔も、旅行にいったときの人の反応というのは変わらないモノですね。
他に記憶に残っている歌の解説ですが、
秋になって月を見上げたら、月も黄色に輝いていた。 そんなに黄色に輝いているのは、月でも秋が来て葉が落ちているからだろうか。
などという、歌もありました。 これは、古今和歌集からの紹介だったと記憶しています。 解説者は、このの見方自体が狙っているので、 その狙い具合(技巧)が好きな人と、嫌いな人とに分かれますね。 と解説していました。
もう一つ別の例を紹介すると、 冬に読まれたはずの歌なのに「花散りて・・・」という 表現を使った歌がありました。 二期桜ではありませんでした。
基本的に歌の中で「花」と読まれた場合は、原則的に「桜の花」を意味するそうです。 ただその歌には但し書きがあって、読まれたのは冬であることが分かっています。 ということは、この「花」、「花が散る様」というのは「雪が降る様」を表現しているのだ、とか。 この歌も古今和歌集にあるとのことです。
もうこうなってくると、一体、なんなんでしょうか。という質問しか出てきません。 何でもありの世界です。
さて、最後は紀貫之。 この人、結構情熱的な歌を詠むというか、後で相解釈している人がいます。
志賀の山越にて、いしゐのもとにて物いひける人の別れけるをりによめる むすぶ手のしづくににごる山の井のあかでも人にわかれぬるかな (古今集404)
その当時、初めてあった男女が山道の休憩所で出会っても、話す事はまず無かったであろう。 よって、この男女は宮中での顔見知りであろう。 とか解説してくれたのですが、それよりも、 序詞の使われ方に度肝を抜かれました。 この歌では「あかでも」を引っ張り出したいためだけに、「むすぶ手のしづくににごる山の井の」という序詞が使われています。 序詞は、無くても、文の意味に全く影響しません。 「あかでも人にわかれぬるかな」(ゆっくりと話もできず、心残りがあるままに分かれてしまった)を言いたいだけのようです。 それを「察して。」と言う歌の読み手、そして選者。 これは相当に難しい世界だ、と思いました。
そんな解説を聞いていたラジオ番組も、終了の時が来ました。 3日くらいして、こんなエントリーを書きました。 ふだんと全く違う毛色のエントリーになってしまいました。
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