2011-01-30

Someday is someday

今日は佐々木正悟さんのセミナーを受講してきました。

セミナーのテーマは「時間管理」でした。 最初に

どうして時間が足りなくなるのか?

という問いかけに始まり、そして、「うまく時間をコントロールできていない状態」を大きく2つ紹介していただき、あとは、懐深く質問に答えていくというセミナーでした。

眠たくて眠たくてたまりません。 頭も疲労困憊です。

その中でも佐々木さんは

someday/maybeリストを書くのは時間の無駄だ。

と力説していたことが印象的でした。 普段飄々とされている佐々木さんが、熱くなる数少ないトピックです。

この言に関して、納得できそうな経験がありました。 昔、someday/maybeリストを無くしたことがありました。 その後少し時間が経って、無くしたsomeday/maybeリストが無事に見つかりました。 改めてそれらリストを処理してみたのですが、 ほぼ(九割以上)someday/maybeリスト所属のままでした。

一度someday/maybeリストに登録された事柄 issue は、基本的に生き帰ってこない。 特に「**したい」という願望系のものは。 そのように、上記体験を解釈しました。

そのため、自分はGTDのsomeday/maybeリストは「願望の墓場」リストとして使っています。 「願望があることは忘れてはいませんよー」と安心して忘れることができるために。 リストをみれば願望を思い出せるのだから、それはリストに任せておいて、 今ここですべき事柄に資源を振り分けて、一日をまわしていこう、というスタンスでsomeday/maybeリストを使っていました。 まぁ、そこの多くの選手が戦力外通告される予定のファーム、といったところでしょうか。 いきなり、「クビね」ではショックが大きいので、「まずはファーム行って落ち着いてこい。すぐに帰ってこれるさ」と言って、解雇します。

僕は、この一連の処理をタスクに対しておこなっています。 someday/maybeがタスク・プロジェクトの墓場・安置所であることは大いに賛成します。 ただ、

そう思った事柄をメモしなくても良いのか?

ということには自信がなく、メモする場所としてsomeday/maybeリストを使っていました。 だから、一度someday/maybeリストに入ったものは、なかなかプロジェクトになれないのです。 いきなり願望を切り捨てる覚悟と自信とノウハウがなかったので、 「やったほうが好ましい、でも必須ではない」事柄を非アクティブリストのたらい回しにして、 実質的に考えるリソースを与えなければ良い、という手間をかけていました。

佐々木さんはもっと突っ込んでやっていました。

someday/maybe リストに書き込む時間、それ自体が浪費でしょう。

たしかに、someday/maybeリストを達成できるシステマティックな方法がなければ、 "someday/maybeリストは役に立たない"、それは間違いありません。 そこまでちゃんと考えているので、 someday/maybeリストは書かないと聞いて、「なるほどな」と納得した次第です。

この記事を書いていたら、この話は、バイキングスタイルの食べ方と共通点があるように思えてきました。 テーブルを一回りして、あれもたべたい、これもたべたい、と思います。 ただ、それを全部さらに盛ってしまったら、大体の場合、食べきれずにお皿に残すことに成ると思います。 あれもたべたい、これもたべたい、と手当り次第に皿に盛ることが、 これもしたい(いつか)、あれもしたい(死ぬまでに)、と手当り次第にsomeday/maybeリストに追加することと対応しそうです。 そして、佐々木さんは行儀よく、自分が食べられるだけしかお皿に盛らないのです。 更に「いや、家で夕食があるので」と言って、必要でないモノは食べないことを選ぶかもしれません。 自分の体調、栄養摂取の本来の意図を考えれば、それがまだ合理的です。

僕のように、バイキングの際に、「食べないけど、あれが食べたかったとメモしよう」とするのは頭の良い話ではなさそうです。 その食事を食べて楽しむことも、いつものペースを守って静かな満足感を得ることもできません。 書いいている本人ですらそう感じます。 頭悪いですね。

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